「つらいことから書いてみようか」を読んで、思ったことを正しく相手に伝えるということについて考えたの巻。
高校時代の友人と込み入った内容の長文メールのやり取りをした。
その友人が書いた文章を読んだのは5年ぶりで、難しい言葉を使って自分の気持ちを精一杯に伝えてくれた。
私もその気持ちに応えたくて精一杯にメールを読んだけれど、彼の気持ちをくみ取ってあげられたか、期待する言葉を選んでかけられたか不安。
以前は誰にでもわかるような優しい言葉を使ってくれる人だったので、文章を読んでいて寂しい気持ちになった。
なぜ寂しい気持ちになったのだろうって考えた。
5年という月日が、その友達が「脳みそで考える時の言葉」を変えてしまった事が寂しかった。読んでいて、言葉に振り回されている印象さえ受けた。
かっこつけすぎて、自分で自分の気持ちをうまく理解できてあげられてるのかな?とさえ感じた。
そんな私も、話していたり文章を書いていると、自分で何が言いたいのかわからなくなることが頻繁にある。
慌ててしまったり、自分をよく見せようと思ったり、理由は様々ある。
私たちは、言葉でしか自分の思いを伝えられないし、自分の気持ちにも気付くことができない。
だからこそ、改めて言葉を大事にしたいなーと思い、図書館へブラリ。
辛いことから書いてみようか 名コラムニストが小学5年生に語った文章の心得 作者: 近藤勝重出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2014/09/19メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る
つらいことから書いてみようか名コラムニストが小学校5年生に語った文章の心得
- 作者: 近藤勝重
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/06/26
- メディア: 単行本
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小学5年生に対する授業を本 にしたもので、
「誰にでもわかる文章」を書こうと思考する時間の大切さと、思ったことを正しく文章にできる力が自分とモノとの関係性を明らかにしてくれるということを教えてくれた。
ただ「つらい」にも、様々な理由がある。その辛さの中身を、自分がきちんと理解してあげる。
「ツラたん(古いかな?)」ってごまかすよりも、「私はおなかが痛くてつらいです!」とはっきり思う。そして伝える。
楽しかったこと、嬉しかったことも、きちんと理解してあげればその嬉しさは、ただの「わー。マンモスうれピー!(古いかな?)」より、鮮明に残るだろう。
語彙や文章力も体力や筋肉と同じで、鍛えないと衰えてしまう。
感覚で喋ってばかりいたら、その言葉でしか気づけなくなってしまう。
「これ、まじ、ちょーうまーい。」そんな感想しか持てない人が、孤高のグルメの五郎さんみたいに、急に饒舌に料理の感想を述べられるわけがない。
言葉は訓練。
感性も訓練。
そして誰にでもわかりやすい言葉を。
自分が何が言いたいか分からなくなるってことはすごく恐ろしいことだと思う。
そして、それが他人に伝わらなくなることはもっと恐ろしいことだと思う。
誰にでもわかりやすい言葉をつかえる人は、優しい言葉を使うんだなと筆者の文章を読んでいて感じた。
そいういう言葉使いをできる感性を持った人になりたい。
はたして、この文章はわかりやすい文章なのか…。
訓練だよ。訓練。