川の流れのように
人生とは、川のようなものだ。
ありがちな書き出しだな。大風呂敷広げすぎ感あるけど、大したことはないです。
キッチンペーパーぐらいの気持ちで読み進めてください。
四半世紀を生きてみて、義務教育課程を一緒に過ごしていたはずの級友たちと人生レースを何馬身差かをつけられてる現在。
10年来の友達たちも、同じあたりを走っております。
誰かが転べば肩を貸しに行き、
誰かが先を行けば、転ばないかを心配しつつ見守りながら、転んだ時のカットバンを用意したり
たいてい誰かが転んでいます。
「同じ穴の狢。」まさにこれ。
人生が川だとするならば、
私たちは泳ぐ能力も、馬力もある。
ただ、馬力がありすぎて、リキみすぎて常に溺れかけている。
いつまででたっても泳ぐコツも掴めないし、それでも「周りなんて見るもんか!」と意地を張って、川の水を飲みすぎておなか一杯になっている。
最近はコツをつかむ気があるのかすら微妙。常に溺れかけているから、ネタがベタになってて、ちょっと笑いながら溺れている。
力を抜くだけで、プカプカと浮くようにして進めるのに。
進む距離は、浮くように進んだほうが早いこともあるのにそういう人を見ると「ラクしやがって!」と妬んで、たまに陸に上がったときにそれを酒に飲んでガソリンにする。
どうしても、己の力で進みたくてもがいています。
不器用。
まだそんな自分たちの不器用さがかわいいと思うし、彼女たちをいとおしく思うのもそういうところ。
年下で、同じような生き方している子をみると「苦労するだろうな」と生暖かい目でみちゃうし
年上で、溺れかけている諸先輩を見ると、独特な泳法で身に着けただろう背筋にグッときます。
起用に生きたいわけでもないし、この生き方も楽しいとも思うんです。
最近は、浮きをつかんで休憩をすることを覚えました。これは大きな成長です。
進めばいいんだよ、進めば。