わたしの彼の話を聞いてくれ。
私は食べ物の好き嫌いがこれといってありません。
なんでもおいしく食べれるし、私の「おいしいスコア」は
ふつう→おいしい→すごいおいしい
と味わいのバリエーションが少なめではありますが、基本なんでもおいしいです。
最近、彼との電話で「嫌いな食べ物」の話になりムッとなりました。
彼は、大人なのにピーマンが嫌いです。
大人なんだから、食べればいいのに。と思います。
それでも、頑なに拒否をする彼にムッ。
この「ムッ」は、私が「食べ物が食べれない程苦手」っていう感情を持ち合わせていないから、ムッとするんだろうな。と電話を切ってから思いました。
一緒に食事をする限りの、彼の味わいのバリエーションは
食べれない→苦手だけど食べれる→おいしくない→ふつう→おいしい→すごいおいしい→めちゃくちゃおいしい→すごいすごいおいしい
ぐらいだと思っています。
苦手なものはとことん食べれないし、好きなものはブレずに好きなように感じます。
話は変わりますが、
私はこれと言って、人と関わる中で「好きな人」「嫌いな人」がいません。
というよりも、「このひとのここ好きだな」「この人のここ嫌いだな」と場面場面の感情で過ごします。
「この人のここ嫌いだなあ。」「あれ、ここも嫌いだなー。」「でもいい人だなー。」「ここ嫌いだなあ。」
と過ごしていく中で、ポツポツとストレスを溜めていきます。
「嫌い」って散々自分で感じてるのに、自分の感情に気付いてあげることができずに、
すっごい遠回りした結果「この人、もしかして嫌い?」ってなります。
その間、裏切られ(勝手になのかもしれないけど)、傷つき、悩んだりしちゃってます。
彼に、最近あったことなど話す中で、ポツポツと「嫌いだった話」をしていると
たまーに「その人は関わらないほうがいいよ。」とバッサリ切ってくれます。
わたしが気づかないようにしていたことを、バッサリ切ってくれます。
「おおー」っと心の中で拍手を送りながら、「そっか」と答えます。
自分の好きなものを理解してあげられる人は、自分の嫌いなものを理解してあげられるんだろうなあ。と感心します。
そんな彼だから、ピーマンを嫌いでも許そうと思っています。
でも、私はピーマンが好きだから、自分が美味しいと思っているものを一緒に食べれないのがただただ寂しいです。
食べ物の好き嫌いは、なくす努力をしたほうがいいと思うんだけどな~。
でも、しょうがないっか。しょうがない。